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代表

松田翔平

1983年生まれ

神奈川県出身

ぼくが馬に魅了されたきっかけは小学6年生の年の有馬記念、TVで観た三冠馬ナリタブライアンの強さにぶっ飛びました。今でこそ3才馬や牝馬が有馬記念を勝つのはそう珍しいことではありませんが、当時はまだ古馬の壁が厚く、なおかつ一番人気の三冠馬、周囲のマークも厳しい中での圧巻のレースでした。

 

この頃はとにかく興味の対象はすべて馬でした。TVゲームはダビスタかウイポ、ジャンプ・マガジンよりも優駿・サラブレ、日曜3時はスーパー競馬、ずっと競馬のことばかり考えていました。自分が競馬を見つけたというより、ずっとそこで待ち伏せていた馬の何かに見つけられ、捕まえられてしまったようなハマりようでした。(もちろん学校へはちゃんと通っていました)

 

競馬にハマってから半年ほど経った頃、両親が乗馬雑誌で見つけてくれた『大井松田乗馬クラブ』で念願の乗馬デビューを果たしました。はじめて乗った馬の背中は、なんかゴツゴツしていて想像していたのと違いました。おそらく、はじめて馬に乗った方はだいたいみんなそう思うんです。

 

大学へ入るまでの間、大井松田乗馬クラブでは先生方に厳しく可愛がっていただき、先輩会員のみなさんには優しくしていただき、馬たちはいつも楽しく練習に付き合ってくれて、どんどん馬が好きになりました。本当に恵まれていました。そして何より両親は乗馬クラブに通わせてくれて、試合にも出してくれて、本当に感謝ですね。今(まだ親ではありませんが)親になるくらいの年代になって考えてみると、今でも馬を続けているのは、当時の両親が与えてくれた環境のおかげなんですね。ありがとうございます。

 

大学を選ぶ時にはもう、ジョッキーになる夢はどこかに置き忘れてすっかり土にかえっていましたが、馬と言えば北海道の憧れは相変わらず持っていました。北海道といえば北海道大学、ですが学力的な不都合もあり帯広畜産大学に入学、即日馬術部への入部も果たしました。

 

大学時代は毎日が体育会系の部活あるあるな日々で、エピソードには事欠かないものの、言えない書けない読ませられないことばかりなのでそういうのは割愛します。

それでも馬に対してはストイックで真摯で、4年間×365日、帯広畜産大学馬術部に在籍したことで、競技選手としても飼育管理者としてもいつか独立してやっていけそうな、漠然とした自信みたいなものが生まれました。(ちなみに独立して厩舎を持つためには経営者としてやっていく力も必要なんてことは当時の筋肉でできた脳みそにはわかっていませんでした)

卒業後は大井松田の若先生に紹介していただいたオーストラリアのナショナルチームメンバーであり2005グランプリファイナルラスベガス大会オーストラリア代表のアダム・メラーズ氏の厩舎へ留学しました。オーストラリアでの1年はとにかく忙しかったです。生産から競技まで全ての設備がある牧場で、ぼくはその全てを(この際、うすく広く)学びたかったので、競技馬や若馬のトレーニングをして、種付けもして、夜は出産もして、ときどきカンガルーとウサギの駆除を手伝って、あっという間でしたが濃密な研修をすることができました。この1年間で『馬の本質を知る』ことに近づけたと思います。

2009年帰国後は、国内の乗馬クラブや沖縄アミークスインターナショナルスクール馬術部コーチとして勤務して、独立開業の資金を貯めていました。やっぱり馬に携わるならいつかは開業を夢見るものです。そんなこんなで2015年関東各地を見て歩き、馬にとって、人にとって最適な乗馬環境を求め、今後の地球温暖化危機にも対応できる涼冷な北軽井沢に辿り着き、開業準備に取り掛かりまして、2016年6月北軽井沢ホワイトバーチステーブル開業となりました。みなさまよろしくお願い申し上げます。

ホワイトバーチとは白樺(シラカバ)。

松田翔平

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